筆舌に尽くしがたい光景 東日本大震災

北九州市消防局が救援活動 陸前高田市・山元町

 未曽有の東日本大震災発生から、4月11日で1か月が経過した。震災の全容が確認できていない震災翌日3月12日、北九州市消防局も現場に駆けつけた。

 被災地救援のために招集された消防局警防部消防航空隊の椛島健二隊長以下8名。陸上からの救援は月成幸治隊長以下18名を含む福岡県下から集められた精鋭168名。

 航空隊は救援用担架、つり上げロープ、消火バケツ、各自の食糧等を積み、離陸。大阪、静岡、福島で給油しながら岩手県の花巻空港へ。12日午後に到着。全国から集められ、馳せ参じた消防機は各拠点に十機ずつ配備。指揮本部の指令で北九州隊は陸前高田市へ。病院から患者やDマット(災害派遣医療チーム)の医師らを運んだ。

「公共施設や頑丈な建物の残骸があるだけ。海岸部には建物の基礎が残っていただけ。何もない広さには驚いた」と椛島隊長は現地の惨状を説明した。

 「神戸(1995年の阪神淡路大震災)では地に足をつけられた。今回の状況は過去最大(最悪)。ドーンと感じる余震が襲ってきていつも揺れている。がれきに挟まれた人の救助は地上隊の任務。海に流された人には遭遇しなかった」。

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 陸上部隊は3月14日から21日までの8日間、救援活動を行った。門司区の和布刈パーキングで福岡県下からの消防職員と合流。高速道路で一路東北へ。だが宮城県に着いたのは17日。

給油のために岡山、静岡を経て宮城へ向かったが、1泊する予定の静岡で15日、震度6の地震が発生。北九州隊は行きがけの駄賃ではないが急遽、その救援活動に向かった。

 翌日、宮城県山元町へ。国道6号線の河岸段丘で、津波で押し流された人や物、樹木が現場に広がっていたという。「電信柱1本もない風景が広がり、コンクリートの建物、丘の上には鉄骨のみの家があるくらい。海から3キロ㍍のところにあった松林が抜けていた」「車が転覆し、映画の比じゃない。筆舌につくしがたい」「臭いは潮干狩りのヘドロのような泥臭さ。ヘドロの木目細かい粒子が5センチ㍍ほどを被っている」と月成隊長。

 余震との戦いもあった。後方支援部がラジオとTVで確認しながら無線で知らせ、作業を中断しながら、「まず、自分たちの命を守りながら操作する」「9㍍の津波を被った人たちのほとんどは水死状態。9㍍は三階の屋根の高さ」。

 東京でのサリン事件、長崎県島原市の普賢岳噴火の現場にも駆けつけた「強者」の月成隊長も「悲惨さ、規模の大きさは南北10キロ㍍の山元町でも感じた」。

 いの一番に駆け付ける救援隊の食事も自前が当たり前。宿泊所は電気が通っていた。山元町の資料館を宿泊所にしたが「マイナス3度。氷が張っていたのは堪えた」。

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 県下の他の自治体と違い自治体名に「九州」が入る北九州市消防局は現地で「遠いところから来てくれて」と頭を下げられた、と言う。

 身体を張り、命を懸けて災害地に、命令1つで行くことを入職時には想像していたのか、という記者の質問に「誰も行けないところに消防職員は行く。全国どこでも働けるように組織として技術や装備を日々、訓練している」と椛島隊長は毅然と答えた。

 ※ 上写真は陸前高田市。下写真は山元町。(消防局提供)

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(2011年4月21日付)



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