捕虜収容所で発行「沖縄新聞」

兵士・庶民の戦争資料館で公開

 

 現在のみやこ町上伊良原出身で福智町在住の上田常春さん(87歳)が所有していた、沖縄の捕虜収容で発行した「沖縄新聞」や従軍記録が、小竹町の兵士庶民戦争資料館で展示公開されている。青年学校手帳、軍隊手帳の他、「蛸壺の友」と銘打った自作の大隊長から同僚兵士までの戦友名簿、敗戦後、収容先で書いた収容所日記も展示されている。

 沖縄新聞は1946年5月11日付第2号、同年5月31日付第5号、復員までの8月16日付の16号までが公開されている。

 わら半紙にガリ版刷で印刷された「沖縄新聞」は66年の歳月を上田さんの傍らで眠っていた。

 昨年8月、NHKが「兵士庶民戦争資料館」を扱った放映番組を見て、武富智子館長に戦時資料を保持している旨を伝えた。

 「沖縄新聞」は編集者の松重克也氏が収容されていた尾嘉収容所で7号まで発行。8号から16号までは嘉手納収容所ベースキャンプで発行されたことが読み取れる。 

 新聞の内容も第2号には「片山内閣組閣に着手」の見出し。さらに「収容所ニュース」の欄では「小牧」の収容所が火事になり、半焼した台所を作り直したと伝えている。「嘉手納収容所」のシュレーダー少尉が3日、楚辺収容所に転じた旨も書かれ、新聞に記載される収容所が半世紀のち、その後軍関係施設になったことも分かる。

 第5号では、「帰国に際してどんな取扱いを受けるか」を特集。その記事から収容されている日本軍兵士らは米国被服を着ていることが分かる。

 上田さんは収容されている間、米国赤十字のメモ紙綴りに収容所日記を記録。46年1月18日、沖縄・石川の収容所に連れてこられた時、「米軍被服に墨ではなくコールタールでPWと書かれた」とある。

 第14号(8月2日付)には改正憲法草案要綱(2)と題した記事。憲法21条と22条の紹介と解説を載せている。

 第16号(8月16日)には「辛抱強い日本人」というタイトルで牧港収容所のミッチェル少尉の「自分は日本人を非常に尊敬するようになってきた。そして凡ての日本人PW諸君と同様に働くならば平和は永久に続くであろうことを確信する」という談話を載せている。

↑ 兵士・庶民の戦争資料館内(武富館長)

(2011年4月1日付)



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