市立若松病院売却問題

やっぱり出来レース  市長が吐露

 北九州市立若松病院が来る4月1日、「産業医大若松病院」に看板と経営がかけ替えるカウントダウンが進行中。

 「市長選で北橋さんは若松にどの面を下げてやってくるの?」と言う若松市民は少なくない。だが市長はやって来た。そして「2年半前から産業医大と交渉」と吐露した。

 本紙が入手した資料によれば、市長が「告白」したのは1月15日午後、若松区赤崎市民センターで開催された三宅まゆみ市会議員の市政報告会。

 北橋市長は自らの話の最後に「若松病院の売却については2年半前から産業医大と交渉し、苦しみましたが自分が判を押した。やって儲からない病院で赤字を垂れ流して良いのかとの意見も多くありました。しかし、地域医療を守るということに対しては責任を感じています」。

 2年半前とは08年のこと。同年1月に「北九州病院事業経営改革プラン」が発表され、「若松病院は収支のバランスの均衡をめざし、改善が見込まれない場合は経営の見直しを検討」と書かれ、内科医師が3月末に3人、6月に3人と辞めていった年でもある。 

 門司病院は指定管理者制度への移行を検討し始めた。(翌09年4月、茜会が指定管理者となる)。北橋市長は、同指定管理者制度よりも前に若松病院の民間売却を考えていたということだ。当時は当局が医大や医局に医師確保のため、頭を下げに行脚していた時期だが、既に産業医大と交渉していたことになる。

 本紙10年5月1日号で前衆議院議員の三原朝彦氏が東筑高校の同級生の当時病院局長の丸山文治氏と「産業医大の研修医をどうにかできないか」と独立行政法人・労働者健康福祉機構(神奈川県)を訪ねていたと報じた。同時期、北橋市長は産業医大と交渉していた。以後、いかに「譲渡検討会」に諮問しようと「できレース」だったということを明らかにしたことになる。

(2011年1月21日付)



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