玉作り工房発見 城野遺跡

ちらばる水晶かけら

 

 北九州市教育委員会と市芸術文化振興財団・埋蔵文化財調査室は12月10日、現在発掘調査中の城野遺跡(小倉南区)から、弥生時代終末期(2000年前から1800年前)の装身具である水晶製や碧玉製の棗(なつめ)玉などを作っていた「玉作り工房」跡2か所を発見したと発表した。玉作りの過程で出る「かけら」(チップ)計1000点以上が見つかった。市内では初めての発見。九州での工房跡発見は糸島市の潤(うるう)地頭給(じとうきゅう)遺跡に次ぐものだが、城野遺跡の工房跡は住居地域の中に存在していた。発掘担当の佐藤浩司学芸員は「玉作りという高い技術力を持った集団が暮らしていたことを示している」と話し、城野遺跡の重要さを説明した。

 玉作り工房跡が見つかったのは城野遺跡3区発掘調査現場。2010年7月から調査を始め、11年2月末に終了する予定。城野遺跡では09年、北部九州最大級の方形周溝墓が発見され、3歳児頃の子どもの箱式石棺も見つかるなど注目されている。

 3区内からは住居跡や貯蔵穴など28か所の遺構が見つかり、そのうち工房跡は2か所。発見された水晶と碧玉のチップの大きさは5ミリから5㎝。未完成品もそれぞれ1つずつ見つかり、ヒスイ製の勾玉や碧玉製の菅玉は完全な形で発見された。佐藤学芸員は「チップは玉を作る過程で出るもので、そこで作っていた証拠」と話した。炉の跡も確認出来た。

 小倉南区の貫山東側に水晶山があり、水晶の原石は同山から持ち込まれたのではないかと推測されている。碧玉は山陰地方から運ばれた可能性が高いという。昨年見つかった方形周溝墓の中にも碧玉の玉が発見されており、「ここで作られたのかどうか分析しないといけない」と佐藤学芸員。

潤地頭給遺跡では広い範囲で工房跡が見つかっており、一大生産拠点として形成されていたが、城野遺跡では集落の中で見つかっており、大きく異なる特徴。

 現地でチップの発見状況を見ると工房跡内で散乱している。水晶の価値は、現在はもちろん、当時も貴重だったことに違いないはずだが。工房が廃止される際、何らかの祭事が行われ、ばら撒かれたのではないかとの推測もある。

 埋蔵文化財調査室は城野遺跡で昨年発見された方形周溝墓・箱式石棺に描かれている「線」も含めた「報告書」を三月末までに提出する。

?(2011年1月1日付)



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