永万寺 法中損害賠償請求訴訟

原告が勝訴

 法中制度は幕末の小倉戦争で焼失した永万寺(小倉南区)に起源を持つ。同寺再建のために当時第5代住職と9人の僧侶が1口500円を出資。引き換えに、永万寺が存続する限り子々孫々まで同寺僧侶の地位を継承する無名契約を交わしたことに由来。

? 1990年代、税務署が勧告し加入した僧侶たちの社会保険料を寺が半額負担を拒否し、「壇家への態度が悪い」を理由に96年11月、16人の僧侶を解雇した。北九州一円を割振りして16人の僧侶が受け持ち、寺から独立して法務活動をしていた。16人は子々孫々までの「地位継承者」と確信していたが、一方的に権利剥奪され、解雇された。

 「地位確認請求訴訟」は20〇〇年11月に棄却された。事の顛末を本紙で知った弁護士有志が同寺を控訴。02年10月、福岡高裁は「法中僧侶の経済的地位で争え」と控訴を却下し、1審判決を取り消して差し戻した。

 06年11月9日、福岡地裁小倉支部は「僧侶解任は無効」と判決し、原告らが逆転勝利した。

 その後、同逆転勝訴まで1人年330万円計算で10年分の損害賠償総額約4億6000万円を求めて提訴したのが今回の裁判。

 06年12月17日、福岡地裁小倉支部は「債権者(法中)の債務者(永万寺)に対する債権の執行保全のために債務者保有の不動産を仮に差し押さえる」仮処分を出し、永万寺の本堂や門徒会館を差し押さえた。

 12月21日午後、判決を心待ちにしていた傍聴人に向かって福岡地裁小倉支部の係員は開廷を「五分待って」と伝えた。判決は最初の予定では9月21日だった。原告や門徒は「あと五分」を静かに待った。

 青木亮裁判長は遅れたことを詫びると「判決一」と読み始め、原告14人に対する700万円から2000万円の損害賠償金額を読み上げ、「永万寺側の反訴を棄却する」と述べ閉廷した。廷内には安堵感が充満し原告、門徒、支援者の頬が緩んだ。

 原告の1人、堀田弘城さんは笑みを浮かべ「色々なことが消し飛んだ」と言葉を噛みしめながら話した。

(2011年1月1日付)

    



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