安川争議 和解から10年

続く自由と民主主義の闘い

 2000年9月19日の福岡地裁小倉支部。20年間にわたる安川電機を相手取った「思想・信条と性による差別是正」裁判に原告が全面勝利した。 あれから丸10年を経た11月3日、小倉北区内で「争議勝利十周年記念会」が行われた。会の冒頭、この間に亡くなった人々を慰霊し黙祷した。「職場に自由と民主主義の旗をかかげて」不屈に闘った元原告の「最年少者」も今年、定年退職した。同闘争が「完全勝利」と言われる由縁は在籍原告が昇級し、退職した原告も昇級させ、退職原告の退職金も年金も是正させたことだ。

 原告団長だった原野武さん(写真)が開会で「安川裁判闘争二十年」をGHQ政策と戦後の労働運動の流れから紐解いた。戦後直後から始まった労働運労は民主的、革新的市民運動を伴って発展した。1950年、安川電機(以後、安川)はGHQと一緒にレッドパージで共産党員を排除。1960年、安川に不死鳥のように共産党が生まれ労働要求や三井・三池争議の連帯、安保破棄の運動も行った。安川労組は企業内労組でも「戦闘的」と評判になった。

 だが青年労働者への影響を恐れた安川は、職場活動家対策として反共、労務管理を徹底。民主的なことを言っていた者が寝返ってスパイになり一般労働者を孤立させ、会社の言いなりにし、合理化を強めていった。会社にとって「反共」は社員分断の武器だった。「憲法は企業の塀の外に置いて来た」職場環境。原告らは職場の中に本来の労働者の権利要求を、組合にも、働く仲間にも提起し続け、理解と共感は広がっていった。だが会社側は分断を尚も突きつけた。「分断には統一」の戦術で臨んだと、苦しかった「闘争」をかいつまんで原野さんは話した。

 「裁判での和解は勝利だったが、その後、安川で自由と民主主義は確立しただろうか。労働者の雇用は1980年様変わりした。定年で原告は職場に残っていない。戦前、戦中の無権利状態になっているのではないか。自由と民主主義の闘いは今も続いている。私たちの勝利は本来の勝利ではなく、通過点としての局面。労働者階級の闘い、本来の勝利への過程」と話した。

?(2010年11月11日付)



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