火野葦平没後50年 

直木賞作家・出久根さんとペシャワール会・中村医師が記念講演

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?? 6月20日午後、火野葦平没後50年記念文化講演会が若松市民会館で開催され、作家の出久根達郎さんと、医師で葦平の甥に当る中村哲さんを迎えた。同会場は841人参加の満員御礼状態だった。 

? 「葦平と河童」の演題で登壇した出久根さんは、自身の出身地と若松との共通点は「河童」と謎解きのように口火を切り、葦平作品との出会いは石原裕次郎主演の「花と龍」と裕次郎ファンは頬を染めた。当時、同作品の原作を読み、友人らと「葦平文学研究会」を結成した。

 ある時、ラジオ番組で「糞尿譚」の話になり女性アナウンサーから「糞尿譚ってなんですか」と尋ねられ、食事時に何と説明すればいいか困ったという。同作品最後の場面。主人公・彦太郎の「誰も彼も寄ってたかって―」という憤まんやるかたない爆発の場面は「葦平自身が燃え上がり、爆発しながら書いたのではないか。ここが葦平の原点」と述べた。

?? 「何故河童に仮託して小説を書いたのか。戦争を皮肉ったのでは・・・戦争反対といったら手が前にまわる」「戦争作家として『麦と兵隊』『土と兵隊』『花と兵隊』の兵隊3部作がヒット。戦争高揚者として戦後追放。本当にそういう作家だったのか」「戦後の葦平の評価を誰も訂正していない」「今でも完璧な火野葦平全集は出ていない。葦平の生まれ故郷の皆さんが戦争犯罪人と思っているのではないでしょうか」と会場を見渡した。

???? また葦平が昭和17年に書いた「水紋」などを紹介。「葦平って面白いでしょ?」と述べ、「没後50年が葦平文学を知る始まりになって欲しい」と締めくくった。

?? ?葦平の甥でもある医療NGO・ペシャワール会代表の中村医師が「アフガニスタンに命の水を」と題して講演した。中村医師はアフガニスタンでの医療・土木活動を報告。葦平文学についても「決して日本のあるべき姿のことを書いているのではなく、兵隊の心情が書かれていることに気付いていた。今でこそ、市をあげて没後50年記念事業が行われているが、当時は戦争協力者として報道関係者から嫌な思いをさせられた」と語った。

 「私の精神的な流れを作った若松」。中村医師の生まれは福岡市だが、小学校に上がるまで旧若松市の玉井家で育った。1984年にパキスタン・アフガニスタンでハンセン病治療のために発足したペシャワール会だが、2000年の大旱魃では飢餓状態が600万人とされた。「飢えや渇きを医師が治すことは出来ない」。以後、同会の活動は井戸掘りや用水路建設に軸足を移した。大旱魃の中、タリバンを匿っているとしてアフガニスタンに対する国連の経済制裁が始まった。そして9・11テロ後、アフガン攻撃が始まり米軍が進駐。日本では日韓ワールドカップ開催で浮かれる中、アフガンでは、ケシ畑が拡大し「麻薬栽培の自由、外国人相手の売春の自由が生まれた」と中村医師は指摘した。日本で報道されなかった実態を語った。

 03年9月に用水路建設に着工。米軍に攻撃されることもあった。今年3月、約25キロ㍍のマルワリード用水路が完成した。中村医師は「聴診器の使い方は忘れたが、幸せなのは重機に操縦しているとき」と会場を笑わせ、「アフガン人は決して暗い顔をしていない。日本から来る日本人スタッフの方が暗いことがある」と話した。

  小さい頃から、葦平文学に触れていたという中村医師。葦平の代表作「兵隊三部作」は決して交戦的なものではなく、戦後、公職追放されたことに当時から「おかしさ」を感じていたという。「評論家ではなく渦中の人として振舞ってきた葦平は戦争体験を体現した。その不器用さが人類を救うものだと思う」と中村医師。26年にも及ぶペシャワール会の活動の原点が,「若松」と「葦平」にあることを示した。???

?(2010年7月1日付)



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