「企救国」存在か

城野遺跡 頂点に

 北九州市芸術文化振興財団・埋蔵文化財調査室が毎年発行する「研究紀要・第26号」に、同財団理事の西谷正・九州歴史資料館館長(九州大学名誉教授)が、弥生時代の紫川流域に「企救国」と呼ばれる国が存在した可能性をあるとする論文を寄せている。

時代は邪馬台国時代。漢書地理志に記される「楽浪(郡)海中に倭人あり、分かれて百余国を為す」(倭すなわち日本列島の百余国が登場する)の、百余国の1つが「企救国」と想定する内容だ。想定する最大の拠り所は、3年前に発見された、弥生時代終末期の城野遺跡(小倉南区)の存在。同調査室によれば、「企救国」の存在が言及されたのは今回の論文が初めて。

北九州市教育委員会は3月議会で、城野遺跡の現地保存・レプリカ公開という保存方針を示し、地権者の国を協議中。今回の論文は城野遺跡保存に向けて、追い風になると言える。

西谷館長は論文の中で「弥生時代中期後半には奴国や伊都国で見るような国や王、すなわち『企救』国とも呼ぶべき国と、その首長である王が存在した可能性を示唆した。その後、後期終末には国邑と王墓の可能性を含む城野遺跡を頂点として、北九州市域の各地には、それぞれの小地域に営まれた邑落郡と、その首長層の墳墓群が散在していたと推定した」とまとめている。

城野遺跡からは、九州最大級の方形周溝墓や子ども用の箱式石棺、宗教儀式との関連が指摘されている石棺内の絵画模様、玉づくり工房跡など、注目すべき発見が相次いでいる。

(2012年6月1日付)

 

 



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