被爆した元軍医 肥田舜太郎さんが講演

「被爆者に学び 原発反対の行動を」

 

1945年8月6日の広島原爆投下時、陸軍軍医だった肥田舜太郎医師(94歳)は戦後一貫しては被爆者の医療に専念し、原爆症認定裁判でも支援活動を行ってきた内部被曝の専門家でもある。その肥田医師の講演会が12月18日、福岡市で開催され、九州一円から老若男女が参集した。

肥田氏は「ヒロシマ、ナガサキの軍医の生き残りは私1人になった」と口火を切り、「放射能はここにも届いている」「ほとんど全員が日常的に運転している原発から漏れる放射能に被曝している」とボディブローのような話しぶりに会場は水を打った。

 

 45年8月6日、肥田医師はたまたま訪問診療に出かけていた。注射器の空気を抜く動作をした瞬間に広島市方向から強烈な光を浴びたことは覚えている。次の記憶は泥に埋まったところという。

部隊に帰ろうとしたが道中、家屋倒壊や道路の陥没等で進めず、引き返し診療に出かけた村に急ごしらえの「診療所」をつくった。そこで見た、「ピカを受けていない」入市被曝者の実態が、後の低線量被曝者の実態把握の最初だった。

戦後、山口県柳井市の国立病院で診療。この時に世に言う「ブラブラ病」患者を診る。このブラブラ病が低線量被曝。

当時、マッカーサーが「原爆被害者の被害内容は軍隊の機密なので言ってはいけない。言えば厳罰に処する」「日本の医師は診てはいけない。診た結果を複数の医師に見せたり、研究を日本でしてはいけない」の通達に「殺されるのではないか」と解釈した医師らは手を引いた。本当のことを言った患者は医師から診ることを嫌がられた。診る医師は監視された。だから被曝の状態が医師から出る事はなかった。

「今日でも政府は『内部被曝はない』というが福島でも同じ。将来ブラブラ病が出ても『福島原発事故とは関係ない』と言うだろう」「まともなら小中学生は強制疎開すべき。文科省だけが動かない。国はすべきことを引き延ばしている」。

内部被曝に放射線量の強さは関係ないと肥田氏は言う。

これからどう闘っていくのか。被爆者が放射線を浴びて生き延びてきたことに学ぶ事を強調した。さらに、「早寝早起きをする。免疫は自然の状態の中にある。免疫を大事に残していくことが大事。それが長い生きのコツ」と94歳が言うと説得力がある。

(2012年1月1日付)

 

 



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